2025/08/18 12:52

―――――お盆休みどうされてますか?


年上の「いとこのお姉ちゃん」からのショートメッセージが届いたのは、8月も1週目が過ぎたころ。「お姉ちゃん」とは言っても、もちろん彼女も私も還暦をとうに過ぎている。いとこたちと頻繁に会い同じ時を過ごした子供時代は、お互いをちゃん付けで呼び合っていたし、年上の彼女はいつまでたっても「お姉ちゃん」だ。

広島県呉市に帰省しているいとこが遊びに来るという。


―――――行きます!ちょうどその日だけピンポイントで予定が空いてる!


即答で返信、結局8人中5人のいとこが、岡山県笠岡市のそれぞれの父や母の生家に集まることになった。私にとっては、母方の祖父母の家ということになる。今はだれも住んでおらず、前述のいとこのお姉さんが、時々風を入れに通って管理してくださっている。この家で生まれ育った母の兄たちと姉、私にとってはおじさん、おばさんたちはここ数年で相次いで鬼籍に入った。いとこたちもそろそろ仕事や子てが一段落する年齢になり、集まるにはいいタイミングだった。


笠岡といえば、木山捷平の生家がある。ということで、旅のお供は岡山文庫の「木山捷平の世界」

もと庄屋だったという田舎の大きな家は、子供たちが夏休みを過ごすには抜群の環境だったと思う。敷地内で飼っていた牛と山羊に餌をやり、鶏小屋もあった。裏の竹林と古い井戸、秘密めいた薄暗い蔵。すべてが遊び場になった。猫もいた。布団を敷き詰めた大広間に蚊帳を張って、みんなで雑魚寝したこと。祖父の引くリヤカーに乗り畑へ行き、捥いだばかりの桃をほおばったこと。庭で花火をしたこと。この家での思い出は楽しいことばかりだ。

親世代の昔の話は、誰もが共通してあまり知らない。あえて子供に話す機会がなかったというのはどこの家も同じようなものだろう。私以外のいとこたちは戦地に行った親を持つが、その体験についてもきちんと話してもらったことがないとのこと。ただ、戦後の生活は厳しいものだったということは、みなの口から語られる些細なエピソードから想像はできた。知らなかった親の姿が、その甥や姪の記憶から語られる。いとこたちから初めて聞くそれぞれの「小さな記憶の断片」を寄せ集めることで、母の、母たち兄弟の、祖父母の、ひととなりや日々の営みが、おぼろげながら浮かんできた。


最後に揃って記念撮影をした。

「この縁側で西瓜の種飛ばししたなあ」との一言を聞き、思い浮かんだ光景がある。畑で西瓜をトントンとたたき、よしっ!と自信をもって持ち帰った祖父の姿と、その西瓜に包丁を入れ、ぱかっと開いた断面が熟れる前の淡いピンク色だったこと、その時の祖父の残念そうな顔。一瞬にしてパッと浮んで、、、そしてその映像はゆっくりと遠ざかっていく。消えた後のほんのりと柔らかな気持ちに、少し涙ぐみそうになる。


祖母が短歌をたしなんでいたことを初めて知った。母の姉が新聞の投稿欄に何度も投稿していたことも。(母も何度も新聞に載り、家には図書券がたくさんあった。姉妹は趣味が似ていたのだ。)横須賀に住むいとこは、行きつけの古書店の話をしてくれた。極めつけは「ナンダロウアヤシゲって知ってる?」と口にしたいとこがいたこと。まさか、古本界隈の集まりではないところで南陀楼さんのお名前を聴くことになるとは。文学にいそしむ家系だったのだと、しみじみ思う。本屋やってる変わった人もいるしねえ。


今度は庭でBBQを、と皆で確認し合い帰宅の途に。

 (2025.8.17)

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