2022/08/28 14:11

  20226月発行「本と本屋とわたしの話19」の原稿依頼が来たのは真冬のこと。その時につらつらと書いた文章はとても長いものになってしまった。指定字数をはるかにオーバーしてしまい、どうしようかと思いあぐねていたが、主題が二つあると気づき前半と後半に分け、後半部分を推敲し編者のMさんに宛てお送りした。今回、その時ボツになった前半部分を膨らませて書いてみました。せっかくなのでここに置いておきます。
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  電話の向こう側の母は、愉快でたまらないといった様子だ。そして衝撃の一言を放った。
「あなたその人、村上先生の息子さんよ」。
その言葉を聞いたときの驚きを思い出す時、一人暮らしをしていた当時の部屋の様子や、部屋の入り口付近の床に無造作に置いてあった黒い電話機(いくらなんでもダイヤル式の黒電話ではないです)などが鮮明に頭に浮かんでくる。35年前のことだ。

本屋をやっていると、店主はそれなりに多くの本を読んでいる人なのだろうと思われているらしい。でも違う。読書家だった母への反抗心から本を遠ざけていた時期があり、読んでいない名作や文学がたくさんある。そんな私がある日手にとったベストセラー小説は、上巻が赤、下巻が緑色の光沢のあるド派手な表紙の恋愛もの。ミーハー気分だったのだろうか。何故、長年封印していた読書という行為をしようと思ったのかは全くの謎。梅田のビッグマン裏手の紀伊國屋書店。35年も前のことなのに購入した書店まで鮮明に覚えている。一気に読んだ。誰かにこの興奮を伝えたい、と母に電話をかけた。
「お母さん、お母さん、ものすごい小説に出会ってん。ノルウェイの森って知ってる?村上春樹って言う人が書いたんやけど」。返ってきた母の言葉が冒頭の一言「村上先生の息子さんよ」だった。冗談でしょ?あの村上先生の息子さんが村上春樹なの?もう何がなんだかわからない。

地元芦屋では知っている人も多いのだけれど、(いや、今はそれほど知られていないかもしれないが)村上春樹さんのお母さまは、ご自宅で小学生向けの学習塾をされていた。そこへ私の弟が通っていたのだ。いわゆる受験のための進学塾ではなく、学校の補習のようなアットホームな塾だったみたいだ。クリスマス会や卒業生を送る会など楽しい行事もあったと後に弟から聞かされた。何故か私は通っていなかった。親の教育方針?あるいは塾に通わなくても勉強ができる賢い子?だった?のか?どちらにしても本当に残念無念だ。この歳になっても悔しくて弟に八つ当たりしたいぐらいだ。母は弟が卒業した後も、何人かの保護者グループで春樹氏のお母さまとランチをご一緒したりしていたらしい。母の口から「村上先生」という言葉を時々聞いていた記憶がある。「村上先生」はあくまで「弟の先生」である。その電話で事実を知るまでは。

さて私はというと、「ノルウェイの森」に心をぶち抜かれた後、村上春樹という作家のそれ以前の作品を読み尽くし、新刊が発売されるとすぐに購入して読んだ。そしてそれ以降35年間村上作品を追い続けることになる。そんな私を横からチラ見するような姿勢で「何のことやら、何が良いのか全くわからないわ」との感想を持った母。図書館で何冊か借りて読んでみたらしい。
―――――そんなの当たり前やん。お母さん、あなたとわたしの本の好みが合うわけがないのよ。

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ここまでが、最初の原稿の前半部分の内容だ。この後、本の好みがあわない母と私の本にまつわる思い出から現在へと話は続く。こちらは「本と本屋と私のはなし19」にて。

「ハルキスト」だの「村上主義者」だのと公言している割には、村上作品デビューは遅咲き、しかもメジャーすぎる「ノルウェイの森」だった!という事実をここでカミングアウトいたします。風文庫店内には「芦屋の本棚」という、阪神間ゆかりの作家さんや作品を並べた棚があります。その棚を前に「村上春樹を読んだことがない」「○○を読んだのだけれど好きになれなくて」「どうも文体がすっきりと頭に入ってこなくて」と様々なことを訴えながら、お勧めの本を教えてほしいと言われるお客様が時々いらっしゃいます。そんな時「無理して読まなくていいですよ」とお伝えしています。「私は好き。でもそれは人それぞれ。どんなにベストセラーになっていたとしても、賞を受賞していても、苦手なものを読むひまがあったら、読みたいと思うものを読んでください」と。それでも読んでみたいんです、と言われる方のご相談に乗ることはやぶさかではありませんけれど。

 

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