2021/07/03 17:59

最終回の今回は、イラストレーターのミロスラフ・ツィパール氏と、氏の著書「白いお姫さま」の日本語翻訳を手掛けた中村祐子さんの交流をお伝えします。少々長い語りになりますが、お付き合いください。

1981年にフランス語版「白いお姫さま」のイラストに感銘を受けた中村祐子さん(現在芦屋市在住)が、チェコスロバキアの出版社スロバート社に連絡を取り、邦訳許可を取り付けるところから、彼女の行動力発揮の快進撃が始まります。

フランス語を日本語に翻訳できるお仲間と手分けして、8年がかりで仕事を終えたのですが、その8年の間に、彼女自ら出版社を探します。革命前のチェコスロバキアは出版事業も国営で、「印刷は本国で」と言われ、スロバキアで印刷をしたものを日本で製本するということに決まります。幸いにも、外国と共同出版の経験のある新読書社OKしてくれました。しかし、スロバート社で印刷する最低部数には到底届かず、思案していたところ、同じタイミングでポーランド語訳が出版されるというのです。同時に印刷して、ポーランド語の個所に日本語をはめ込めばできる!光が見えたその時、またも問題が発生します。言語によって文章の量が違うのはそりゃそうですよね。文字がそのページに収まらない!!けれど、イラストの位置はもちろん変えられない。細かい打ち合わせが必要になる。で、彼女、飛んだのですよ。チェコスロバキアに向けて。現地の印刷工場に直行、日本語をはめ込む作業をしたのは、革命直前の1989年のことでした。ちゃっかり観光もして帰国()

その年の暮れにベルベット革命がおこり、チェコスロバキアは民主化への道を歩み始めます。

1990年「白いお姫さま」が日本で出版されました。(写真右、布張りの装丁も美しく、スロバキアという国の本に対する愛が感じられる)そしてその年、彼女はツイパール氏本人に会いたくてたまらなくなり、会いに出かけます。ご自宅に招かれて大歓迎を受けたようです。そりゃ嬉しかったんじゃないでしょうか。はるばる日本から、自らの本を出版社に直談判して翻訳出版してくれた人が訪ねてくるなんて。

時は過ぎて1992年。いわさきちひろ美術館で、「スロバキアのイラストレーション展」が開催されることになり、ツィパール氏の原画も何点か飾られることになったと連絡を受けた彼女。またもや行動開始です。「せっかくなので日本に来ませんか?」とツィパール氏に連絡するも、当時の通貨価値の違いその他で、渡航、滞在費用を工面できないと言われます。彼女の勢いはもう止まりません。募金やバザーであつめたお金で航空券を買い、彼と奥さんを日本に呼んじゃいます。それだけではありません。各地のギャラリーで展示会ができるよう、働きかけ、実現させていきます。もちろん、ツィパールさんご夫婦の京都、奈良観光もばっちりお世話したそうです。


なんか、ホンマにこのパワー、すごいです。
1993年 スロバキアとチェコの分離・独立。この時からスロバキアの企業が、国営から民営に変わり、グラフィックデザイナーとして活躍していた彼は、会社のロゴやマークのデザインに引っ張りだこだったそうです。

2000年、彼女は3度めのスロバキア訪問(日本スロバキア協会のツアー)でツィパール氏と再会します。それ以来、会うことはなかったそうですが、しばらくはクリスマスカードのやり取りは続いたそうです。

 1999年に発売された革命10周年記念切手のデザインもツィパール氏が手がけています。「白いお姫さま」のような抒情的なイラストはもちろん素敵です。が、グラフィックデザイナーとして活躍したという彼の才能がこの小さな切手に凝縮されていると感じます。

中村祐子さんがはじめて風文庫を訪ねてくださった2020年、中村さんを通して、ミロスラフ・ツィパールさんという偉大な画家のことを知り、美しい絵に触れることができました。また、スロバキアという遠い東欧の国に想いを馳せるきっかけが生まれました。この出会いに感謝いたします。
ありがとうございました。

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